手長足長とはどんな妖怪?各地に伝わる伝説まとめ!
今回は手長足長についてご紹介していきます。手長足長という妖怪を知っていますか?どのような妖怪なのか、その歴史についても詳しくご紹介していきます。
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手長足長とは?どんな妖怪?
「手長足長」とはどんな妖怪なのか、早速ですがご紹介していきます。
手長足長とは手足が長い巨人の妖怪?
「手長足長」とは、秋田県、山形県、福島県、長野県、福井県等に伝わっている伝説の巨人の妖怪です。
手足が異常に長い巨人とされていますが、地域によって1人の手足の長い巨人であったり、兄弟であったり、足の長い夫と手の長い妻の夫婦であったりとやや伝説に違いがあるようです。
手足が長いというのは、山から山へ手足が届くほどに長いということです。長い手足を山からのばして、人をさらって食べる、米を盗むというような悪事を働くと言われています。
一方、妖怪としての手長足長の他に、不老長寿の神仙とされる手長足長の伝説も存在しています。
「枕草子」には、清涼殿に手長足長が描かれていると記載されています。
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手長足長の各地に残る伝説まとめ!
手長足長の伝説には、地域によってやや違いがありますのでご紹介していきます。
①秋田県
秋田県では、手長足長は鳥海山に棲んでいたとされています。手長足長は日本海を渡る船を襲ったり、旅人をさらって食べたりしていたんだとか。
鳥海山の神・大物忌神がこれを見かねて、霊鳥の三本足の鴉を遣わせて、手長足長が現れる時は「有や」、現れない時は「無や」と鳴かせ、人々に知らせるようにしました。
そのため、山のふもとにある三崎峠は「有耶無耶の関」と言われているそうです。
しかし手長足長の悪行は収まらず、その後この地を訪れた慈覚大師は、吹浦(現在の山形県の鳥海山大物忌神社)で100日間祈りを捧げました。
すると、鳥海山は吹き飛び、手長足長はいなくなったと言われています。
一方で、手長足長は消えたのではなく、慈覚大師に降参して人を襲って食べなくなったという説もあり、慈覚大師が去る際に手長足長に食糧としてタブノキの実を撒いたと言われています。
そのため、現在も三崎山にはタブノキが多く茂っているとされています。
②山形県
山形県では手長足長が鳥海山に棲んでいるということで、秋田県の伝説とほとんど同じように伝わっているようです。
しかし、手長足長は最後、鳥海山の頂上が吹っ飛んで海に落ちてしまい、それが飛島になったとされています。
鳥海山の頂上が吹っ飛んだ原因には諸説あり、鳥海山の神・大物忌神が怒り、頂上を蹴飛ばした」という説や、「慈覚大師が百日祈願すると不動明王の目が光り輝き鳥海山の頂上を吹き飛ばした」という説があります。
大物忌神が頂上を蹴飛ばした説では、飛島でも手長足長が悪行を働いたので、派遣された百合若大臣が退治したと言われています。
③福島県
福島県では、体の大きさを自由自在に変えられる手長足長が会津若松に出現し、病悩山(現在の磐梯山)の頂上に住み着いて会津の空を雲で覆ってしまい、長期にわたって作物ができなくなってしまったそうです。
偶然そこを訪れた旅の僧侶がこのことを知って病悩山山頂へ行き、手長足長を言葉巧みに誘導して体を小さくさせて捕らえ、病悩山の頂上に封印して、磐梯明神として祀りました。
それ以降、病悩山は「磐梯山」と呼ばれるようになりました。手長足長を封印した僧侶は、修行中の弘法大師(空海)だったと言われています。
④福井県
福井県では、雄島にある大湊神社に手長足長の伝説が伝わっています。安島に最初に住んでいたのは手長と足長だったそうです。
足長が手長を背負って海に入って、手長が貝のフンを海に入れて魚をおびき寄せ、獲って生活していたと言われています。
⑤長野県
長野県では手長と足長は建御名方神(諏訪明神)以前の土着の神・洩矢神に従い、諏訪にきた建御名方神と戦ったとされています。
洩矢神はその後、建御名方神が諏訪に入ってきて抵抗したものの服従し、諏訪上社の神官である守矢氏の始祖となったそうです。
一方で、手長神社の祭神が諏訪明神の家来の手長足長という大男という伝説もあり、この手長足長はデイダラボッチとも呼ばれていたそうです。
しかし現在の諏訪市にある手長神社の祭神は手摩乳命(別名:手長彦神)であり、日本神話で奇稲田姫の母として登場する祭神です。
諏訪市には足長神社もありますが、こちらには脚摩乳命(別名:足長彦神)が祀られています。
妖怪・手長足長の伝説まとめ
今回は手長足長の伝説について、まとめました。手長足長は各地で伝わっている妖怪ですが、地域によってやや伝説に違いがあるようです。山から山に手足が届くほど長いというのは驚きですね。
ぜひ画像検索をしてみてください。手長足長の手足の長さにびっくりしますよ。
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