牛の首とは?怪談?あらすじは?【都市伝説】
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牛の首とは?怪談?内容は?
「牛の首」という怪談を知っていますか?とても恐ろしいと話題の都市伝説のようですが、あらすじはどんな内容なのでしょうか?
牛の首の怪談とは?
「『牛の首』というとても恐ろしい怪談があり、これを聞いた者は恐怖のあまり身震いが止まらず、三日と経たずに死んでしまう。怪談の作者は、多くの死者が出たことを悔い、これを供養するため仏門に入り、人に乞われても二度とこの話をすることは無く、世を去った。この怪談を知るものはみな死んでしまい、今に伝わるのは『牛の首』と言う題名と、それが無類の恐ろしい話であった、ということのみである」(引用:wikipedia)
牛の首の怪談のあらすじは?
実は、結論から言うと「牛の首」という怪談の実際の内容は不明なのです。つまり、「牛の首」という怪談の名前しかわかっていないのです。
どんなに調べても「牛の首」という怪談の内容はみつかりません。
牛の首は存在しない怪談!?
そもそも、「牛の首」という怪談自体、存在しないものだとも言われています。「牛の首」という話自体が嘘だという説です。
とても怖そうだが、正体がよくわからないことで恐ろしさを演出しているという、心理をついた怪談とも言われています。
つまり、正体がわからないことで怖がらせようという一種のお遊びということです。
なぜ「牛の首」というタイトルなのか
Here and now, unfortunately, ends my journey on Pixabay/Pixabay
「牛の首」が実態のわからない怪談ということはわかりましたが、それではどうして「牛の首」という名前がついているのでしょうか?
確かになんだか気味が悪いタイトルではありますが、本当に内容がないのかということについては疑わしくもありませんか?
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牛の首の怪談の真相を考察!
続いては「牛の首」の怪談の真相を考察していきます。「牛の首」の怪談の正体とは何だったのか、考えていきましょう。
①小松左京「牛の首」
まず一つ目に言われているのは、小松左京さんの短編小説「牛の首」が元になったという説です。
しかしながら実際には、小松左京さんは「牛の首」という怪談があることを知っていて、それをネタに書いたということです。
②筒井康隆のエッセイ
1973年には、筒井康隆さんが世界一怖い怪談ということで「夕刊フジ」連載のエッセイで「牛の首」を紹介しています。
これが怪談「牛の首」の元になったという説もありますが、こちらもよくわからないのが現状です。
筒井康隆さんは、小説家の今日泊亜蘭さんから「牛の首」を聞いたと紹介しています。
③人面牛身の妖怪「件」
「件(くだん)」という人頭牛身の妖怪が「牛の首」の怪談と関係があるのではないかと言う説もあります。
「件」は、生まれた直後、重大な予言をして死ぬと言われている妖怪です。
④文藝市場の「牛の首」
大正15年の「文藝市場」第二巻第三号に「牛の首」という記事があり、それが怪談「牛の首」の元なのではという説がありました。
これは、ルポルタージュ作家の石角春洋氏が、父親から聞いた話であるということでした。
冬の日に、とある山間の村の五作という男の一人娘のお花が危篤状態で、五作は三里離れた町の医者を訪ねに行きます。
五作が町に着くと雪が降り始めて吹雪となってしまいました。五作はつまづいたり足を取られたりしながらも娘の元に一刻も早く帰ろうとします。
お花は死んでしまうのではないかと想像し、目を潤ませていると、雪の中の3、4間(1間は1.818m)先に黒い物が浮いていました。
それは牛の頭で、3、4寸の角があり、目はいきいきし耳はびくびくと動き、切れた首から光を放っています。
五作は叫んで尻もちをつき、目を閉じ念仏を唱え、目を開けました。牛の頭は鏡台に代わっていましたが、その鏡台はお花が大事にしている鏡台に見えました。
五作は驚きまた目を閉じ、開くと鏡台にはお花が映っており、病気になる前のお花は髪をといています。
よく見るとお花の顔は薄黒く、斑点があり、斑点は次第に黒い血になってだくだくと流れました。
五作は見ることができず、堅く目を閉じて明け方になりました。家に帰るとお花は亡くなっていました。
この恐ろしい話がもしかすると「牛の首」の元ネタだったのかもしれませんが、都市伝説の「牛の首」との関係は不明です。
⑤殺牛儀礼
五つ目の説は「殺牛儀礼」が元になった怪談だという説です。
昔、日本では「殺牛儀礼」と言って、池や滝壺等の水辺で牛を殺害し、首を投げ入れ血を注ぐという儀式が行われていたという話があります。
この儀式は西日本を中心によく行われていたということで、雨ごいのために行われていたと言われています。
この儀式は次第に、すでに死んだ牛の首をつるしたりと変わっていったようですが、1939年には新聞で「牛の首で雨乞ひ」と報じられたこともあったのだとか。
ただ、この儀式に関しては、文献記録はあまり残っていないそうです。
実際に、日本には「牛鬼伝説」といって牛鬼が出るという伝承もあります。牛鬼は水辺に現れるともされています。
牛の首にはその他複数の伝承がある!?
その他、「牛の首」と言う話は複数の伝承があるようです。
- 戦前のとある村と隣村との事件
- 天保の飢饉時の人の共食いに牛の頭皮を被せた話
- 牛の首を神様にお供えしていた牛の首衆の話
牛の首の真相は殺牛儀礼のタブー視?
「牛の首」の怪談の真相についてですが、先にご紹介した「殺牛儀礼」をタブー視するようになったことにより、「牛の首については語ってはいけない」となっていったのではないかとも言われています。
文献に残っていないことからもわかるように、そもそも「殺牛儀礼」自体、大っぴらにやっていた風習というわけではなかったようです。
いわゆる生贄というのが非人道的であることもあり、記録にも残さずに人々の記憶からも消してしまいたいという意図があったのではないでしょうか。
このような過去がいつしか怪談化してしまったことで、「牛の首」という怪談タイトルだけが残っていったというのが真相ではないかということです。
牛の首の怪談や真相の考察まとめ!
今回は「牛の首」の怪談や、真相の考察について、まとめました。とにかく恐ろしいと話題の「牛の首」、真相は闇の中ですが、わからないということにより恐怖を感じます。
語ってはいけない何かがあったのでしょうか?あまり深く詮索しない方が良いのかもしれません。
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